高萩市の歴史
沿革
本市では、古くから人々の生活が営まれ 約6,000年前の遺跡が確認されているほか、約1,200年前に編纂された万葉集の中にも『手綱の浜の歌』が詠まれ、高(多珂・多賀)国の行政機関が置かれるなど長い歴史と伝統が培われてきています。
また、江戸時代には現在の秋田県仙北市から移された戸沢氏が松岡城を築き、その後水戸藩の附家老中山氏の城下町として明治維新を迎え、松岡藩から松岡県を経て茨城県に属することとなりました。
明治以降は、郡役所、税務署、営林署、警察署などが設置され多賀郡の中心地としての役割を担ってきました。明治30年には常磐線が開通し、石炭産業のまちとして、また、古くから続いてきた木材や馬の産地として経済の発展を見せました。こうした中で、昭和29年11月23日に高萩町、松岡町、高岡村と黒前村及び櫛形村の一部が合併して高萩市が誕生しました。その後、昭和30年代の中頃からエネルギー革命が進む中で、基幹産業であった石炭産業が次第に衰退し、昭和42年には石炭産業のまちとしての歴史が閉じられました。
一方、炭鉱閉山後に誘致した松久保、手綱・手綱B工業団地への企業の進出により、現在では、産業都市としての発展を続けてきています。
まちの主なできごと
400 |
|
---|---|
1212(建暦2年) |
|
1420(応永27年) |
|
1602(慶長7年) |
|
1606(慶長11年) |
|
1622(元和8年) |
|
1646(正保3年) |
|
1678(延宝6年) |
|
1779(安永8年) |
|
1869(明治2年) |
|
1871(明治4年) |
|
1878(明治11年) |
|
1897(明治30年) |
|
1931(昭和6年) |
|
1946(昭和21年) |
|
1954(昭和29年) |
|
1955(昭和30年) |
|
1957(昭和32年) |
|
1958(昭和33年) |
|
1960(昭和35年) |
|
1962(昭和37年) |
|
1963(昭和38年) |
|
1964(昭和39年) |
|
1965(昭和40年) |
|
1966(昭和41年) |
|
1967(昭和42年) |
|
1968(昭和43年) |
|
1969(昭和44年) |
|
1970(昭和45年) |
|
1971(昭和46年) |
|
1972(昭和47年) |
|
1973(昭和48年) |
|
1974(昭和49年) |
|
1975(昭和50年) |
|
1976(昭和51年) |
|
1979(昭和54年) |
|
1980(昭和55年) |
|
1981(昭和56年) |
|
1982(昭和57年) |
|
1983(昭和58年) |
|
1984(昭和59年) |
|
1987(昭和62年) |
|
1988(昭和63年) |
|
1989(平成元年) |
|
1990(平成2年) |
|
1991(平成3年) |
|
1992(平成4年) |
|
1993(平成5年) |
|
1994(平成6年) |
|
1995(平成7年) |
|
1996(平成8年) |
|
1997(平成9年) |
|
1998(平成10年) |
|
1999(平成11年) |
|
2000(平成12年) |
|
2001(平成13年) |
|
2002(平成14年) |
|
2003(平成15年) |
|
2004(平成16年) |
|
2005(平成17年) |
|
2006(平成18年) |
|
2007(平成19年) |
|
2008(平成20年) |
|
2009(平成21年) |
|
2010(平成22年) |
|
2011(平成23年) |
|
2012(平成24年) |
|
問い合わせ先
このページに関するお問い合わせは一般社団法人高萩市観光協会です。
〒318-0031 茨城県高萩市春日町1丁目5 クリハラビル1階
電話番号:0293-23-2121 ファックス番号:0293-23-2126
メールでのお問い合わせはこちらアンケート
高萩市観光協会ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。
- 【アクセス数】
- 【更新日】2016年6月27日